(更新:2018年10月31日)
身分・階級差別、人種差別、性差別、そして「能力差別」があります。
これまで存在した多くの差別は無くなりつつあるのに、「能力差別」は一向に無くなりません。
能力のある者が優遇され、能力の低い者は社会からのけものにされます。
能力差別以前の差別
能力差別の他に、身分・階級差別、人種差別、性差別などがこれまでにありました。
しかし、今となっては、「身分・階級差別」は、昔と比べると表面上にそんなにでてこないし、日常の生活には殆ど気にならないと思います。
「職業差別」に関しても、特定の職業を卑下することを許容される社会では無くなっているのではないでしょうか。
「性差別」も、今まで一番の問題とされていた女性に対する差別は、女性の社会進出推進などで社会的に減らす傾向にあるように思います。
LGBT関連のムーブメントも世界中で活発になっています。
依然として残り続ける「能力差別」
多くの差別が縮小傾向にあるなかで、依然として残り続けているのが「能力差別」です。
差別のそれぞれは各時代で焦点が当てられ、時代の変化と民衆のムーブメントによって、無くすという方向に向かってきました。
しかし、能力差別に関わる議論は今も活発ではないままです。
「能力差別」の定義
まず、差別とは「特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為」のことです。
能力差別の明確な定義はありませんが、
「ある特定の能力が劣ってみえる集団や個人に対する特別な行為」
が能力差別なんじゃないでしょうか。
Twitterからみる「能力差別」
Twitterでも能力差別について多少のツイートがされています。
能力差別ので最も伸びているのは以下のツイートです。
学校で色盲検査やらなくなったの、「差別を助長するから」っていう意味わからん理由なんだがそれなら運動神経による差別を助長するスポーツテスト・体育や絵心差別が発生する美術、歌唱能力差別が発生する音楽もやるべきじゃないしテストに点数つけるのもやめたほうがいいんじゃないのか
— Kazuya Gokita (@kazoo04) April 4, 2017
続いてこちらのツイート。
https://twitter.com/terrakei07/status/1025979569608617984
他にも
そもそも学校が、この社会が、馬鹿無能怠惰を許容してないわけで、能力差別をしてしまっているわけです。でもどうせ能力差別をゼロにすることはできないので、格差がそんなにつかないとか、能力を示す物差しが多様であるとか、そういう社会になればいいなという願望。
— クサタロー・イチヤギ (@1yagiryow5) October 27, 2017
能力差別という単語に基づいて、色んな議論が展開できそうです。
僕が能力差別という言葉を知ったきっかけ
僕は大学で教職過程(先生になる課程)をとっていて、ある授業で将来の教育について教授と議論をしていた時に、教授から
「君はどこかの誰かが考えた予測された世界で上手く生きていくための教育を考えている」
「そうではなくて、どのような社会にしていきたいか、そしてそのためにどのような教育が必要となるかを考えなければいけない」
「君の考える教育では能力差別が残り続けるじゃないか」
と言われたのがきっかけです。衝撃でしたね。
それまでは、差別ってどんどん無くなり続けるんだろうなとか思っていたんですけど、能力差別って無くなる気配が無いなと考えるようになりました。
能力差別と今の社会
もうすでに終身雇用制が少しづつ無くなり、プロジェクトベースでの雇用や数年ベースで転職する人が増えています。
結果、能力がある人は生き残り、能力ない人は淘汰されていく社会が形成されていきます。
これは優秀な人は幸せな生活を送れる可能性が増す一方で、現代社会では評価されにくい能力しかない人は苦しい生活を送ることを余儀なくされるということになります。
はっきり言って、社会から能力差別が無くなる方向とは全く逆を向いていると感じます。
一方で、
「社会から評価されない人は、社会保障でまぁそれなりの生活を送れれば良い」
や、
「生産性を求める社会に適応できない者は淘汰されるのが自然の摂理。」
のように思う人もいるかもしれません。
けれど、今は能力が認めらている側の人も、能力の高い人だけが生き残った世界では不適合とされる日がやってくるかもしれないでのです。
今の能力の高さを追い求める日々を続ければ、この能力差別が無くなることは無いでしょう。
じゃあ、どんな社会が良いのだろうか
じゃあ、どうすれば良いのか。こんな若輩者には明確な解決策は出せません。
でも僕が希望を感じているのは、
「社会に生き残るための強みを個人が見いだせるようになること。そしてそのためのシステムが確立されること」
です。
そしてもうひとつは、
「社会なんていう枠組みに捕らわれない自分の幸せを見つけれるようになること。そしてそのためのシステムが確率せること」
です。
能力主義が拡大していく中で、人々がより良く生きるためには、
- 能力主義による差別をなくすことを目指すのか
- 時代に逆らわずにそのなかでより良く生きる方法を探すのか
- 真に理想の社会を目指すのか
- しょうがないからとそのまま放置するのか
他にも色んな考え方があると思います。
個人的には、時代にはどうしても逆らえないので、予想される社会の中で、能力差別を減らす方法を探すのが現実的だと思いますが、理想の社会を踏まえておくことが大切かなと思います。
人工知能やITなんかで人間の職業的価値が再考されている今、性差別の次にこれから問われそうな社会問題を考えられたらなと思いました。
以上です。